COLUMN特集
2025.08.27 楽器産業 「美しい音色の流れる世界を創る」 確かなものづくりとマーケティングの両輪で突き進む 小さなピアノメーカーの挑戦
世界的にピアノ需要が鈍化する中、2019年に浜松市に誕生した新進のピアノメーカー、遠州楽器制作株式会社。「音楽があふれる世界を作りたい」と立ち上げた小さな工場から、個性的な音色を持つ自社ブランド「ENSCHU(エンシュウ)」が誕生しました。リリースから4年弱が経ち、今、国内外で話題を集める存在に成長しています。今回、実際に工場を訪ね、ものづくりの現場と、世界へ挑むビジョンに迫りました。
代表の岩佐 真さん(左)と工場長の長嶋保博さん(右)
-「この時代にピアノメーカーを?」——無謀と言われた7年前、情熱が道を拓いた
SOU:少子化や趣味の多様化による国内市場の縮小に加え、中国市場の伸び悩み……。今、ピアノ産業には逆風が吹いています。その中での創業は、どのような経緯だったのでしょうか?
岩佐さん:私は、前職で営業として楽器メーカーに勤めていました。実は、私はこの業界では珍しく、音楽演奏の経験がまったくありません。しかし、仕事を通じて「音楽が自然に流れる暮らし」の価値に魅了されてきました。やがて「新たなチャレンジをしてみたい」という思いが強くなり、「ピアノメーカーを立ち上げよう」と決意しました。
SOU:思い切った決断ですね。周囲から反対の声もあったのでは?
岩佐さん:「この時代にピアノメーカー?」とずいぶん言われました。でも、やってみないと分からないという強い思いがありました。
-販売のターゲットは主に海外。「浜松で作ること」にこだわった理由
SOU:その勝算は、ありましたか?
岩佐さん:セールスの中心を海外に据えたこと。ここ浜松という土地には、世界的に通用する“ブランド価値”があります。ピアノに詳しい方なら「浜松」と聞くだけで品質の高さをイメージしてくださる。
現在最も多くのご注文をいただいているのはシンガポールで、他にもアメリカやヨーロッパ、アフリカからの引き合いがあります。浜松で完成させて、世界に送り出しています。購入者の決め手となっているのは、他メーカーの国産品を少し下回る手の届きやすい価格帯と、一般家庭に置きやすいコンパクトな規格。この2点も創業当時からの構想です。
長嶋さん:海外向けの注文は、基本的にコンテナ単位。15台程度を2カ月かけて製造するサイクルです。生産効率を上げられますし、在庫を持たないのも大きなメリットです。
-話題を呼んだ“やさしく丸みのある音”は、どのように誕生した?
SOU:インターネット上では、御社のピアノを演奏された方の動画が話題になっています。演奏者の多くが「やさしくて丸みのある音」と表現していますね。この音はどのように生まれたのでしょうか。
長嶋さん:ENSCHUのグランドピアノE–150を開発する際、岩佐からサイズだけは指定されました。「自由に設計していい」と任されて。5台の異なる構造のピアノを試作し、社内外で試奏を行った結果、最も評価の高かった音が今のE–150です。アップライトのE–121も同様の経緯で、E–150と同系統の音になっています。
SOU:音作りのプロセスをそこまで時間をかけて行うのは珍しいのでは?
長嶋さん:はい。2年かけてじっくり音を練り上げるなんて、職人としては夢のような経験でした。私は木工職人としてキャリアを始め、ピアノ製造の全工程を一通り経験してきました。分業制が主流の業界では少数派かもしれません。
自分の考えた構造で音が生まれ、名前がついて、世界中の人に弾かれている——これほどうれしいことはありません。
SOU:職人冥利に尽きる、といった感じですね。
ちなみに、どのような工夫をするとE–150のような音になるのですか?
響板というパーツが音色に大きく影響していると聞いたことがありますが……。
長嶋さん:それは少し違いますね。ピアノには数千ものパーツが使われ、パーツごとに複数の素材やメーカーがあります。ピアノの音は、さまざまな組み合わせを検討して作るものなのです。例えば、弦長が長いと音にボリュームが増しますが、E–150は奥行きが短いため、弦長も短い。狙った音を出すためには工夫が必要でした。
-「実際の音が聴きたい」と沖縄県から訪れる人も
SOU:ENSCHUは、どこで販売していますか?
岩佐さん:現在、国内では5つの楽器店と提携しています。また、東京と大阪にはサテライトオフィスがあり、そちらで実際に弾いてみることも可能です。ぜひお越しください。
SOU:知名度が十分でない中、購入を希望する方はENSCHUの情報をどこでキャッチしているのでしょうか?
岩佐さん:SNSや動画サイトですね。ENSCHUが完成した際に、タイミングよくストリートピアノの設置に誘われました。演奏してくださった方の動画が投稿され、反響を呼びました。定期的にストリートピアノの設置依頼を受けていることもあり、最近は特に直接のお問い合わせが増えています。沖縄や北海道など、遠方からわざわざ工場まで音を確かめに来てくださる方もいます。
2023年3月、東京ミッドタウン日比谷5周年記念イベントに
「ENSCHU E-150」グランドピアノを出展した
-天竜杉×ピアノ──地域資源と職人の技を、楽器に込めて
SOU:今年4月には、浜松産の天竜杉を使ったアップライトピアノが話題を集めましたね。
岩佐さん:「E–121 DA MONDE」というモデルです。創業当初から「浜松のものづくり文化を応援したい」という想いがあり、地場産業への貢献と、製作に携わる企業に日の目を当てたいと企画しました。できる限りの材料とパーツを浜松市内で調達し、ひと目でコンセプトが伝わるように地元名木の天竜杉を使っています。
長嶋さん:ケース加工は地元の建具メーカー有限会社マルシン 伊藤工芸、椅子の座面に用いた遠州綿紬は有限会社ぬくもり工房にご協力いただきました。内装には有限会社今出川ハンマー製作所、株式会社トキワ製作所のアクションを。そのほかのパーツは株式会社渡辺商店、塗装資材の相談は株式会社ウチゲンに……と、浜松エリアの技術を集め製作しています。さまざまな職人と交流ができ、とても勉強になりました。
SOU:実際に弾いてみると、E–121よりクリアで明るい音が印象的ですね。
長嶋さん:はい。ベースとなっているE–121と同じ規格ですが、素材や構造で音色に差が出ます。目でも耳でも楽しめる1台です。
細かな装飾が美しい「E–121 DA MONDE」
-子どもたちの身近に、美しい音色が聞こえる環境をつくる。
国境や文化の差を超えて、生の音を届けたい
SOU:最後に、お二人がこれから描いている夢を教えてください。
長嶋さん:また新しいピアノづくりに挑戦したいですね。岩佐が新しい企画を温めているようなので、私も楽しみにしています。
岩佐さん:私の夢は、事業を通じて世界中の子どもたちに音楽の流れる世界をつくりたいということ。目指しているのは、「楽器を売ること」ではなく、「音楽のある豊かな日常」を届けること。子どもたちが楽器に触れられる機会が増えるように。だから価格もサイズも、家庭に取り入れやすく設計しています。
実は、海外への大口出荷時には、1台分を寄付用として追加しています。ピアノは学校や教会に届けられ、現地の子どもたちが自由に弾けるように。
音がある場所には、人が集まり、自然に交流が生まれます。そんな場面を、世界中にもっと広げていきたい。それが私たちの目標です。
SOU:ありがとうございます。とても素敵なお話を伺えました。
やさしく包み込むようなENSCHUの音色。その裏には、職人たちの情熱と、音楽のある社会を願う強い想いが込められていました。浜松という土地で始まった小さな挑戦が、いま世界の子どもたちの心に届き始めています。鋭い着眼点と確かなものづくりで業界に新しい風を起こした遠州楽器制作株式会社。今後の活動にも注目していきたいと思います。