COLUMN特集

2022.03.23 繊維産業 生地を織るのに欠かせない「経通し」とは。後継者不足と言われる中、専門事業を個人で始めた府川容子さんに聞く

「経通し(へとおし)」とは、生地を織るために欠かせない、さまざまな準備工程の一つ。
生地のデザインに沿って、経糸(たていと)を手作業で一本ずつドロッパー、綜絖(そうこう)、筬(おさ)と呼ばれる器具に通していく作業で、準備工程の一番最後の工程。

手作業のみに依るので、織物(産業としての)の工程の中で一番アナログな作業とも言えます。
神奈川県出身の府川さんがなぜ浜松で「経通し」を自分の仕事に選んだのか、現在のお仕事の状況含めてお話しをうかがいました。




専用の台と道具で経通しの作業をする府川さん

SOU:どういった経緯で浜松の繊維業界に?

府川:私は神奈川県出身で、都内の大学から英語教師を目指してイギリスへ留学し、さらにそこから教育制度に興味を持ち、教育学の先進国であるフィンランドへと学びの場を移しました。帰国後は北欧家具のショップで働いた後、都内の大学の教育学に関する研究室のお手伝いをしていました。フィンランド留学時代に、布にパターンを印刷するシルクスクリーンプリントの技法を学ぶ講座を受講したこともありましたが、織物にはどちらかというと興味がありませんでした。
英語や教育について勉強してきたものの、自分でも何をやりたいのかよくわからない時期があり、いろいろ迷う中、縁があって浜松に来て「遠州綿紬」を扱う会社に就職しました。その社内にあった製造工程のパネル写真を見ているうちに、売る方ではなくて作り手側になりたいなと思うようになりました。


フィンランド留学時代の自室からの風景とシルクスクリーンプリントのクラスの様子

SOU:さまざまな織布の工程の中で「経通し」に惹かれた理由は?

府川:社内にあった写真には、中高年ぐらいの男性の手が糸を一本一本引き出している場面が写っていました。それが「経通し」の作業風景でした。
「これは一体なんなんだろう?」と漠然と興味が湧き、作業内容を聞いたらさらに興奮し、実際に内職されている方の作業風景を見せてもらった時、手さばきの美しさに感動を覚えた記憶があります。そして、このデジタル、ロボット化の進むものづくりの世界で、「なんとアナログな仕事なんだろう!」と。“時代に囚われない仕事”というのもこの仕事に惹かれた理由の一つです。
そこで、遠州織物工業協同組合の方に経通しを教えてくれるところを紹介してほしいと相談し、同時に、作業をするために必要な経通し台を探してもらいました。経通しを実際にやったこともないのに、です(笑)。相談して間もなく、台も見つけてもらい、また経通しを学ばせてもらえる織布工場さんも紹介してもらい、そこに転職しました。
織布工場に入って、経通しを習いながら、主には織子(おりこ)と呼ばれる機場(はたば、織る場所)の仕事や、織りあがった反物を検品する、検反という仕事や、国内外の展示会の仕事に携わる機会をいただきました。
 
SOU:現在は「経通し」を専門事業として個人でお仕事されているんですよね?

府川:はい。かなりストイックな作業ですが、私はひとりっこで、自分でストップウォッチでタイムを計りながら同じパズルを何度も繰り返しやって、最速記録を出すことを楽しむような子供だったんで、こういう無心になって一人で取り組める作業が大好きなんです(笑)。
ただ、得意かというと、そうでもなくて、むしろ大雑把な性格で、正確性に欠けることが多いので、「速く、正確に」に憧れています。その欲望を満たしてくれるのが、たまたま出会った「経通し」なのです。
それに、この工程は、同じようなパターン(同じ経糸本数)の生地を織り続けるのであれば、「つなぎ」という作業をすれば、経通しをする必要がほぼないのですが、遠州織物の特徴のひとつである多品種小ロットとなると、経通しの必要性が高まります。「自動経通し機」という大型の機械も存在しますが、生地の多様性に対応するには、人の手での経通しの方が、技術面、経済面を考慮しても良い場合があるようです。そういう遠州の織物の特徴に加え、経通し職人の減少によって、需要はあるので、専門事業としてやっていけるのではないかと考えました。
 
製織指定書とパターン指定書。織物の世界にも設計図がある。経糸の通し方によって生地のパターンが決まる


テンポのある手の動きで次々に糸を器具に通していく


「筬(おさ)」という織機に取り付けるための器具に糸を通して経通しの作業の仕上げとなる

SOU:府川さんにとって先生のような方はいらっしゃるのですか?

府川:私にとっての先生は、今の私の仕事を成立させているすべてに関わっている方々です。
経通しも、事業立ち上げと同時に始めた整経(経糸を整理する経通しの前工程)も、知識も経験もゼロからのスタートでした。私は浜松が地元ではないので、人間関係を築いていくのもゼロからのスタートでした。不思議と「大変だった」という印象はないです。自分のやりたいことをしっかり自分の口で伝えられると、助けてくれる人が現れます。やりたいことがわかると、会いたい人が誰なのか明確になります。そして自然と、繋がっていくんですね。わからないことはわからない、助けてください、と正直に発すればみんな優しいですし、何と言ってもみなさんベテランなので助けてくれます。
また、業界内はもちろん、異業種でも繋がっていきました。整経や経通しで必要な部品や道具を、偶然知り合った木工所や鉄工所の方が作ってくれたり。いろんな人に助けられて今があります。


経通しのための専用の道具類

SOU:後継者不足とお聞きしましたが。

府川:浜松で経通しを専門にやっている人達の中で、私は最若手だと思います。昔はそれぞれの機屋さんに「経通し」の専門職の方や、パートの職人さんがいたそうです。しかし、機屋さん自体が減ったのと、高齢化が進み、浜松の職人さんの数も10人未満と、私が知る限りでは把握しています。全国的にも減少しているのではないでしょうか。
「経通しは内職仕事」という位置付けで今日まできています。内職仕事なので、小遣い稼ぎといった感覚で、主の稼ぎや年金等などがあるのが前提、といった感覚でしょうか。そういう状況では、若者が選択してやる仕事ではないですね。もっと簡単に、楽に稼げるバイトや仕事はたくさんありますから。
経通しは想像以上に過酷です。ミス無く限られた時間内に仕上げなければならないからです。時間をかけようと思えばいくらでもかけられますが、そうなると稼ぎが減ります。時に、10時間継続して糸を通します。1分でも無駄にできない、という状況になるのでトイレすら行けなくなる時もあるほどストイックです。私の場合は、ですが(笑)。
私自身、単純に「経通し」が好きで、それを仕事として成り立たせたいという思いで日々仕事をしています。自分がこの現状をどうにかしなければとか、もっと繊維産業を盛り上げなくちゃ、とかの気負いはないですが、「今なんとかしないと大変だよな・・・」と、漠然とした危機感は持っています。
 
SOU:仕事を通じてこれからやりたいことはありますか?

府川:いっそのこと織りまでやってみたらどうか、と思うようになりました。オリジナル商品を作りたい、というよりは、自分で「整経」から織りまで一貫してやることで、「経通し」だけでなく、危機的状況にある準備工程を残す事ができるからです。
色んな性別、年齢、国籍の人達と一緒に働いてみたいです。興味を持ってもらえて見学の希望があれば、極力受け入れるようにしています。
また、長年、教育学の分野にいたこともあり、教育について常に頭にあり、繊維とものづくりを通して学習の機会を作れたらいいなと思っています。例えば、糸から生地を作るとなると、全教科網羅できちゃうと思うんです。ものをつくるには、算数は不可欠だし、繊維には様々な言語の長さや重さの単位が出てくるので、言語やその言葉の歴史だったり、工具の使い方から物理に触れたりすることもできます。糸の原作国から、社会の様々な課題や、経済についても学べます。労働についても生の体験ができます。また、ものづくりには失敗がつきもの。しかし、失敗は成功の基。その体験をたくさんさせることができる学習をものづくりから提供できたらいいな、と思っています。
 
SOU:本日はありがとうございました。
 
浜松を中心にした遠州の繊維産業。それを支えるのは、小規模な企業だったり、個人だったりします。地域産業として育ってきた繊維産業はその地域の暮らしと密着していると感じました。繊維産業は今、ニーズによる産業構造の変化や、暮らし、社会の変化にも大きな影響を受けています。府川さんのような思いのある人材がもっともっと増えてくれることを願います。